上目黒郷土まつり 一心行列 令和五年10月15日(日)午前10時~15時(雨天決行)

上目黒村の歴史 上目黒という地域

現在、上目黒氷川神社のあるあたりは、もともと上目黒村と呼ばれていました。
この地は古くより人々が生活を営み、その営みを今に伝える地でもあります。
縄文時代の住居跡が多数見つかった大橋遺跡。
上目黒氷川神社石段下にある石橋は中世、荘園の時代、
この辺りが菅の荘と呼ばれる荘園だったことを今に伝えています。
同じく石段下にある「大山道」の道標は、天保十三年に建てられたもの。
この道を、相模国大山の阿夫利神社への参詣者が行き交った情景が思い起こされます。
古代から中世、近世、そして現代へ。
人々とこの地の関わりは、様々に形を変えながらも、
今も変わらず同じ場所で、脈々と受け継がれているのです。

文化2年に作成された「目黒筋御場絵図」には
目黒六か村として「上目黒村」が記載されています。
かつての「上目黒村」は現在、
駒場町会、 氷川台町会、上八北自治会、上八町会、東山三丁目自治会、東山自治会、青葉台日向町会、 新上六町会、上一東町会、上三町会の10町会となっています。

※江戸近郊に設定された幕府の御鷹場の地図です。
「目黒筋」 と呼ばれた馬込・世田谷・麻布・品川一帯に設定された鷹場の地図です。
文化7年以降、幕府が地誌の編集資料として昌平坂学問所に集めた書籍に捺された
「編修地志備用典籍」の印があります。

上目黒町の今昔

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